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昭和を振り返る 祖母との小学生の思い出 [育ち]

令和を迎え、なぜか生い立ちを語ってみる

昭和51年から千葉県館山市で育ち、昭和64年は、小学6年で迎えた。
昭和天皇の崩御は、なんとなく頭の片隅に残っている。
昭和は12年ほど、過ごしたことになる。
4人兄弟の長男として父、母、祖父、祖母の8人家族で育った。
いつも自宅には誰かがいた。賑やかである事が普通だった。

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自宅から海まで2〜300mの距離
夏になれば、海まで海パン一丁で向かい、帰りは適当に水道から水を浴びるのであった。
よくクラゲに刺されていた。クラゲにアレルギーがあるのかわからないが、水ぶくれになって1週間は運動できないくらいに悪化していたものだった。

小学校時代は、野球に明け暮れていた。
実家は、昔ながらの木造家屋で裏庭があり、
明るいうちはいつも弟たちと野球やサッカーをやっていた。

一人の時は、壁にボールをぶつけ、
暗くなったら家の中では、ピンポン球で野球をやり
テレビでは巨人戦、よく本を読んで野球の研究をしていたものだ

弟たちとファミスタをやりながらよく喧嘩したのを覚えている。
時に次男と三男はよく喧嘩をしていた。
振り返ってみると遊んでいた記憶しか思い出せない

父は家業を継ぎ、我々を育てるため、仕事に専念していたように思える。
仕事が趣味みたいなもので、今でも何かあれば父を頼る弟たちがいる。

祖父は、物心ついたころには仕事をほぼ引退しており、小さな船を使って自分がやりたい仕事をしていたようだった。
私にはとても優しく、叱られたことなど一度もない。しかし、仕事にはとても厳しい人間だったようだ。

母は、8人家族の中でいつも子育て掃除洗濯家事をしていたものだ。
こんなところに嫁入りしてしまい、さぞ辛かったであろうと、今、そう感じる。

祖母は、まだまだ現役で仕事をしていてた。私のことをとても可愛がってくれた。

こんな思い出がある。
小学校6年生の夏
当時は、2時間ほどかけて電車で東京に行くことは、私にとってビックイベントだった。
友人から譲っていただいた巨人ー広島戦のチケット。
祖母と二人で東京ドームに野球を見に行ったことをよく覚えている
巨人の緒方耕一のランニングホームランで1−0で巨人の辛勝。
いい勝負だったので9時過ぎの終電を逃したようだ。

田舎から出てきた祖母と6年生の私は交番でホテルを尋ねたところ、
親切な警察官がご丁寧にパトカーに乗せてくれてホテルまで案内してくれた。
流石にどこのホテルかは覚えていないが、館山の田舎から出てきたおばあちゃんと小学校6年生の私を見て不憫に思ったのだろう・・・。

翌日、東京タワー観光をし、大きな金魚を飼ってくれた。
その金魚はとても綺麗で、程なくすると卵を産んだ。
当時は、自分で管理していたため取り扱いを間違え、結局3匹ほど成魚になっただろうか。

東京タワーに行くと、祖母とのことをいつも思い出す
平成に入ると中学生になり、祖父祖母と関わる時間が急激に減った。
今は他界していないが、いつも愛情をかけてくれていた。

二人は、私が歯学部の学生の頃に亡くなった。
唯一心残りが、義歯の作製をできなかったことだ。
上下の歯は全て喪失したが食欲旺盛だった。
義歯をつけず、アワビを食べている様子は今でも語り草だ。

つい最近、祖母の書き記した自筆のメモを知った。
いつも優しくしてくれた祖母の聡明な部分を知った。
自分の生い立ちを振り返り、家族の大事さ、祖父祖母の愛情の深さを改めて知る由となった。

ただボールを追いかけ少年だった自分
それを育ててくれた家族に感謝である。

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